吉里颯洋の年甲斐ない日記

作詞家・吉里颯洋のブログ

【独白】前略お袋さま 〜本多家由来書〜

天国の母に近況報告を


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前略お袋さま

こちらでは今日はお雛祭り。プロぺ通りにも、トコろんのキュートなフラッグがはためいています。母さんの命日にあたる3月1日、野球好きな母さんが最後に応援した大谷翔平くんが結婚会見を開いたので、久しぶりにブログが書きたくなりました。大谷くんの母親になりたかった母さんとしては、どんな気持ちですか(笑)? 

前置きはこれくらいにして、近況報告をあれこれ書いてみます。

挫折のただ中にいた3年前に比べれば自分の人生もだいぶ復興が進んだ気がするけれど、まだまだ志半ば。ただ、ようやく次のステップに踏み出していけそうな感触があります。別の記事にも書いたとおり、自分の人生を放り投げる一歩手前で自分が書いた歌詞に救われたし、あの曲の歌詞のフレーズが励みになると言ってくださる方もいる。改めて、俺はもっともっと歌を作らねば、作詞をせねば、歌詞に魂を込めねばと思う次第。まだまだ無名だけれど、「作詞家人生まだまだこれから、最高傑作を書くのはこれから」と思って、一意専心、一文字入魂の気構えで言葉を紡いでいきます。

観る方の野球の話をすると、ライオンズは我らが松井稼頭央監督の2年目。散々だった昨年よりも確実に戦力アップしているし、我が家のすぐ側にもうすぐ完成するショッピングモールの目の前を優勝パレードするシーンを心に描きつつ、首を長くして開幕を待っているところ。3月16日には、ライオンズのOB戦が開催されるので、いつもお世話になっている山崎二郎さんと一緒にライトスタンドで観戦してきます。「高校3年の熊本県大会決勝で、八代東高校の秋山と熊本工業の伊東が藤崎台球場で対決した」と母さんが良く話してたのを覚えてるけど、恩讐を超えて秋山幸二さんも伊東勤さんも西武球場でのOB戦に参加するのは本当に感慨深いよ。2度と観られないかもしれない故郷の英雄の揃い踏みだから、母さんの分まで声を枯らして応援してくるね。そういや、2月24日の母さんの誕生日には、いつものルーティーン通り、週刊ベースボールの「選手名鑑号」を購入しました。母さんが毎年やっていたように、熊本県出身のプレイヤーをチェックしようとしたけど、思ったより大変で早々に挫折(苦笑)。現役時代の秋山&伊東のように、スタープレイヤーでルックスも良くて熊本出身とか、そんな選手はなかなかいません(笑)。

やる方の野球は、今年から新規創設されるチームに入るので、そこで投手転向2年目のシーズンを楽しみます。平日にできる練習をきちんとこなして毎週土曜日の活動では10代、20代のチームメイトたちに負けずに弾けたいと思ってます。大谷くんみたいなスーパースターは母さんが応援せずとも大活躍するのは目に見えてるから、下手の横好きながら必死でがんばる俺を応援するように! 新設チームということは、メンバー全員がルーキーみたいなもの。オールドルーキーながら、俺自身も「謙虚に真摯に元気よく」というポリシーをグラウンドで貫くつもりです。

見ての通りで、俺はまだまだ花嫁募集中。他界する直前、「一生独身でも良いよ」と言ってくれたけれど、諦めずに嫁さんを探すつもり。条件なんて何もありません。ご縁があれば、一緒にいてくれる女性に誠意を尽くすのみです。

閑話休題。

以前に別のブログに掲載して、そこそこの反響があった「本多家由来署」をいま一度転載します。そこそこの反響と書いたのは、俺のブログの記事を見て面識のない遠い親戚の方が名乗り出てくれたのです。小松姫さまにもどうぞよろしくお伝えください。

天国から俺たち兄妹を見守っていてね。正直なところ、親孝行はし足りなかったと反省しきりですが、勝手ながら、これからの俺のがんばりを親孝行だと思ってもらえるとうれしいです。1年後にまた、こうして手紙を書くね。

爽々!

吉里颯洋

 

本多家由来書

今から約10年ほど前のことです。「親戚の方が書いたこの手紙に、本多家のルーツについて記載がある」といういわくつきの手紙のコピーを母から受け取りました。

驚くべき内容に、胸が熱くなったのを覚えています。以下に、原文を抜粋して掲載します。
※母がたの祖母の名前は、養子縁組のため、「『本田』ハル」ですが、元々の血筋は『本多』家です。

母が大切に持っていた手紙の中身とは・・・

我が本多家は清和源氏の流れを汲み、元は鎌倉武士なりしという。
応仁の乱に落ち、福岡県英彦山英彦神社に至り、宮司の紹介を得て、一宮町阿蘇神社宮司・阿蘇氏(後、男爵)を頼り、現在地に補せられしと、その名は本多掃部助藤原近義と称し、永正十五年十月十五日に没せしことは後補なりといえども、墓の示すところである。阿蘇氏は平安朝来の名門であって、当時はその守護であった亡父の語る所によれば、その時の紹介状の原本は阿蘇男爵家にあり、我が家にはその写しが存したりという。初代以前のことは系図焼失したため、前に和泉守などという人が居たなどと聞いたことはあるが、今となっては調べようもなく、また以後数代も不明である。
ただ、ここに興味あるは、家紋である。
現在、我が家の家紋は五三の桐であるが、余は嘗て亡父より、昔の紋は葵の紋であったが、徳川幕府成立以来、葵が禁ぜられ、家紋を変えるに至ったと聞いたことがあった。後年、この点に疑問を抱き、浦和のとめえ叔母に質したところ、「そういえば、鎧兜についていた紋は確かに、五三の桐ではなかった。葵のようでもあったが、はっきりとは覚えぬ」とのことであった。
然るに昭和三十六年四月、亡父の葬儀に際し、一族の昔語りに、本田利夫氏の言に、「子供の頃、祖父善保より、家宝だと言って、系図を見せられたことがあった。内容は記憶しないが立派なもので、おもてに葵の金具がついていた」とのことであった。之は本田利夫氏の自発的な発言であって、何らの示唆、質問に基づくものではない。従って、我が家の家紋が葵紋であったことは確実と考えられ、この系図も巷間に存する如く江戸時代に作成されたものではなく、それ以前より伝来する由緒正しきものであったと思われる。

興味あるは、三河の本多氏は葵紋なりしと聞くことであって、或いは遡れば、その始祖を一にするならんかと思われることである。又、余の実見した兜の鉢の如きも、到底雑兵の用う可きものに非ず、又、後年、阿蘇定住後の時代を考えれば、これらは或いは初代が都落ちに際して、着用或いは持参し来たりしものならんかと考えざるを得ない。




※画像は、以下より転載。  
戦国ガイド

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要約すると、「我が本多家に葵の御紋の入った立派な甲冑が実在したのは、(徳川四天王と謳われた本多忠勝公を輩出した)三河の本多氏とルーツを同じくする証ではないのか?」ということなのですが、母の本多家が根付いた熊本からほど近い「豊後(現在の大分県)日高郡本多郷」が三河の本多氏のルーツであることを鑑みれば、あながちあり得ない話ではない気がしてきます。
※参考
ウィキペディア_本多氏#平八郎家_(忠勝の家系)


風の槍(1)_Kindle版 / NUMBER8, 矢野日菜子 (著)

母・多喜子と小松姫

この事実に加えて、これを後押しするような事実が二つあります。
1)私の母の誕生日(2月24日)は、小松姫の命日であること。
2)母の名前「多喜子」は、本多忠勝の居城「大多喜城」から「多喜」の2文字をいただいたように思われ、同じ「多喜」の2文字を名前に冠した人物(故人)がもう1名親戚にいること。

「正式な系図もないのに、これだけの事実で、おまえは徳川四天王・本多忠勝公の末裔を名乗るのか?」と笑われそうですが、「直系ではなくても、母がたのご先祖さまが豊後発祥の本多家の末席にいたかもしれない」という気がしてならないのです。
冒頭に、「胸が熱くなった」と書きましたが、正確に言うと、これらの事実を知った時、はらはらと涙してしまいました。なぜなら、私の少年時代からのヒーロー・真田幸村公が紀州九度山に幽閉された折に、あれこれ仕送りをするなどして気遣ったのが幸村公の兄嫁に当たる小松姫その人だからです。「もしかしたら、自分が幸村公のファンになったのも天の配剤と呼ぶべきことで、小松姫の『我が本多家とのゆかりに気づきなさい』というはからいだったのかもしれない」とも思うのです。
前述の事実がわかったこともあり、大河ドラマ「真田丸」の放映時には、本多忠勝公、小松姫(稲姫)の登場が待ち遠しくてなりませんでした。右手に薙刀を持ち、白装束、白ハチマキの小松姫が夢枕に立ったときには言葉も出ませんでしたが(笑)、「私とゆかりがあるなら、一意専心、己が道を極めよ!」と励ましてくださったものと考えることにしました。




余談ですが、大河ドラマ「真田丸」の放映後だいぶ経ってから、「ステッピンアウト!」誌からご依頼を頂き、小松姫を演じられた吉田羊さんのインタヴュー記事の編集を担当した際は、志の高いコメントの数々に感銘を受け、これまた小松姫のお導きに違いないと思ったのでした。

※画像は、「堺雅人が語る『真田丸』 マイナーな人物がすごく面白い | ORICON NEWS」より転載。


母とともに小松姫の史跡めぐりをする夢は叶わずじまいでしたが、2018年2月24日に掲載した本稿の元記事がきっかけで、前述の手紙の文中に記載のある「本多掃部助藤原近義公」の末裔の方からコンタクトがありました。熊本在住のその方もご自分のご先祖に関して何かしらの情報を探し求めて、私のブログにたどり着いたとのこと。ご縁がありましたら、いつの日かお目にかかれたらと思っています。

 

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