京都の母、さくちゃん、かく語りき
「波音(なみね)」と一言呼びかけて、わずかに間が空いた。モスグリーンのローバー・ミニの助手席にわたしを乗せ、真夜中の東名高速を京都に向けて走りながら、さくちゃんは静かに話し始める。1分ほど、いやもう少し静寂が続いたのか。息を潜めて、わたしは次の一言を待った。
「曲がりなりにも言葉を生業にしているわたしが思いの丈を込めて言うけれど、いざと言う時に言葉は無力ね。わたし自身の半分が持って行かれたようなこんな時に、あなたの心に寄り添える言葉ものひとつも見つけられないもの」と話して、さくちゃんは深くため息をつく。「その若さで母親を亡くしたあなたの悲しみは如何ばかりかと思うけれど、今まで話せなかったことをこれから話すわね。本当は墓場まで持って行こうと思っていたのだけれど、何かそれもフェアじゃないと言うか、微妙に違うように思えてきたから、今、話します」
京都の某私大に合格した春のこと。東北の震災で行方知れずになってしまったパパが不在になった日と同じ3月11日、あの日以降は女手ひとつでわたしを育ててくれた母のすみれは交通事故で天国に旅立ってしまった。こともあろうに、京都でわたしと一緒に音楽活動をする約束をしていたギタリストの心さんを道連れにして。これからわたしは、毎年のように「3月11日」が来るたびに、この日を恨み、呪うだろう。
訃報を聞いたわたしは茫然自失で小鳥のように震えるしかなく、京都での親代わりになる叔母のさくちゃんこと小此木さくらが身近にいたことが不幸中の幸いだった。双子の妹のすみれを亡くしても気丈に振るまうさくちゃんの様子に、「規模は小さくても、編集プロダクションを切り盛りする女社長は伊達じゃない」とは思うものの、わたし自身は全身の骨格が抜け落ちたようで何ごとも手につかない。訃報を知ったさくちゃんは愛車の後部座席にわたしを乗せてわたしの実家のある秩父へ着くと、わずかな滞在期間の間にささやかな家族葬を手際よく執り行い、わたしたち2人は京都に戻る途中だった。「すみれが高校卒業したら、『純喫茶すみれ』はクローズしてアメリカに渡るの。どこかの小さなジャズ・クラブで雇ってもらって、第二の人生はシンガーとして終わりたいから。すみれの母親はさくらに交代ね。心ちゃんは波音にご執心みたいだから、よろしくやってね」と夢みがちな瞳で語っていたすみれに、わたしは抗議せざるを得ない。「すみれ、何でこんなことになったの?アメリカでジャズ・シンガーになるんじゃなかったの?心さんまで天国に連れて行くなんて、ひど過ぎるよ」と。
時計の針を少しだけ巻き戻すと、高3の冬休みもいつものように京都のさくちゃん宅の自室で過ごし、いったん秩父に帰って必要な荷物を1月のうちに京都に送り終えたわたしは、1月末の学年末考査が終わるとすぐに京都に戻った。いいことなんてなかった高校に行く必要がないと思うと晴れ晴れとした気分で、2月中はさくちゃんの会社の小さなオフィスに出勤して、校正やらライティングの仕事をせっせとこなした。どこからどう見ても、自分がさくちゃんの娘にしか見えないこともあって、京都では心密かにちょっとした「社長令嬢」気分を味わっているのは、我ながらおめでたい限り。すみれには申し訳ないけれど、片田舎の喫茶店店主の娘より、小さくても編集プロダクション社長の娘の方が少しだけ生きやすいのが、世間というものなのかもしれない。それより何より、「ゼロから一緒に曲作って、地道に活動していこう。すみれさんがくれたせっかくの縁だからね」と言ってくれた心さんの笑顔を思い出すと、仕事がどんなに忙しくても自然に頬が緩んでいた、と思う。これから始まる4年間にワクワクが止まらず「東京でパッとしなかった『あまちゃん』のアキちゃんが北三陸に来て輝いたように、秩父でパッとしなかったわたしも京都で輝く、絶対に輝けるはず」と信じて疑わなかった。それはきっと、簡単には目減りしない300%くらいの熱量で。2月の下旬に秩父に戻って3月はじめの卒業式を終えると、京都にとんぼ返り。さくちゃんからは「行ったり来たりで忙しないわね。高校生活の最後は親子水入らずで、すみれとゆっくり過ごせばいいのに。せっかくの秩父住まいなんだから、すみれと温泉にでも行ってきたら?」と言われたけれど、「秩父はもういいの。京都で心さんと一緒に、人生の第2章を始めるから」とさくちゃんにドヤ顔で言い返してからまだ1月も経ってないという事実が信じられない。すみれがシンガーめざして渡米する夢を話半分で聞いていたわたしは、しばらく帰省するつもりはまったくなかった。ところが、わたしを襲ったのは、まさかの急転直下の真っ暗闇。わたしに歌を教えた母のすみれも、音楽の楽しさを教えてくれた心さんも突然天に召されるなんて、そんなことがあっていいはずがない。
「わたしもアメリカ行きの準備を始めたいし、看板娘の波音が京都の大学に行くから、春が来る前にお店は畳むわね」とだいぶ前からすみれの構想を聞いていたとおり、すみれが店主を務める「純喫茶すみれ」は既に店じまいを終えていたので、店先に「休業のお知らせ」みたいな貼り紙をする必要もなかった。小さな街の隅々にまですみれの訃報はすぐに伝わるだろうからさっさと京都に戻りたくてたまらなかったが、オンラインでできる仕事を進めるさくちゃんを手伝って手持ち無沙汰の時間をやり過ごした。出発間際になって思いつき、遺品のあれこれを段ボール2箱に詰めて、さくちゃんのクルマに積ませてもらう。すみれが着古した古着のシャツは、水玉かペイズリーか花柄、もしくはデニム。思ったより、デニムが多い。CDはさんざん聴かされた松田聖子、リンダ・ロンシュタット、ホリー・コール、CCRが少々。どれもサブスクで聴けるけれど、目に見えるCDにはすみれとの思い出が詰まっているようで、側においておきたかった。あと、「コレだけは絶対、京都に持って行くのよ」と言われながら放置していた『あまちゃん』のブルーレイのボックスセット。気づくと、紙製のケースに刻まれたタイトルの文字が薄くなって『あまちゃん』が『まちゃん』になっている。「パパがエキストラで出てくるかもしれないから、波音も一緒に観よう」とすみれにせがまれて、放映当時には1日に幾度も「あまちゃん」を観ていた頃がまるで昨日のことのよう。「ねぇ、パパ。記憶喪失になっててもいいから、生きてるなら戻ってきて」と心の中で懇願しても、35歳のまま会えなくなってしまったパパは思い出の中でほほえむだけだ。
閑話休題。
追い越し車線を走るクルマのテールライトが何か別の生き物、人魂のように見えて仕方がない。さくちゃんは、意を決したように少しだけ凛とした声音で話し始める。「あのね、これは、旅立ったすみれを貶めたくて言うんじゃないのよ。あなたのパパの大介と母親のすみれが結ばれたのは、きっと運命の恋。わたしとすみれは、幼い頃から、同じ相手を奪い合うような恋だけは絶対にしないと誓ってきた。けれど、結果的には、それを破ってまで2人は結ばれた。もしかしたら、元々付き合っていたわたしじゃなく、妹のすみれを選んだことで、大介も後ろ指を刺されたことがあったかもしれない。どういうことかと言えば、大学時代、あなたのパパ、大介とわたしは恋仲だったの。付き合っていたのは、大学1年の初夏から3年間くらい。大介とは大学で知り合って、クラスは違ったけど、同じ学科だった。大介は医学部目指して2浪していたけど夢叶わずで、わたしと同じ大学の英文科に来たのね。だから、学年は同じでも2つ歳上。働いてばかりで、あまり大学には来なかったけど、すごく繊細な人で波長が合った。彼がある時に紹介してくれたブルース・スプリングスティーンの『NEBRASKA』というアルバムがすごく刺さってね。かなりの問題作なんだけど、そこで歌われているこの世の不条理とか、アメリカの市井の人たちの暮らしについて、カフェめぐりをしながら話すのが好きだった。そんな話ができるのは大介だけだったから、大介との時間は本当に尊かった」
美しくて思慮深いさくちゃんがわたしの前で初めてパパのことを「大介」呼びした時、これまでさくちゃんに感じたことのない女の色気が細い首筋から立ち昇るような気がして、背筋がゾクっとした。
「付き合っていた当時、結婚云々の話は出ていなかったけれど、わたしは大介と添い遂げたかった。けれど、そうはならなかった。大学4年の春にわたしが卵巣を患って、先々、子供を持てる可能性が低くなったの。『親父の寿命が長くないから、早く子供を持ちたい。孫の顔を早く見せたい』みたい話はよく聞いていたから、病名は打ち明けられなかった。それでも、折を見て自分の身体のことは大介に打ち明けるつもりだったから、結局のところ、『この恋は終わる』という予感はあったのだけれど、自分の意志で恋にピリオドを打つほどの勇気は持てなくて……。そんな頃、すみれが自殺未遂騒ぎを起こしたことがあったのね。あの頃、すみれと大介、心ちゃんはバンドのリハで頻繁に会っていたから、すみれのメンタルの異常に大介が気づいたみたい。詳細は分からないけれど、すんでのところで大介がすみれのことを救ったみたいで「すみれのメンタルが回復するまで、俺の実家で預かるから」と大介からメールがあって、すみれは大介の実家、つまりあなたが育った家で暮らし始めた。大介の実家は当時、喫茶店じゃなくて、フラワーショップだった気がする。優しくて気丈なお母さんが小さなお店を切り盛りしていて、すみれはお店を手伝いながら、手料理を習ったり、お母さんが趣味でたまにやっていたらしい料理教室のアシスタントをしたりしてたみたいね。すみれから『大ちゃんのお母さんの春ちゃんから手料理を習うのが楽しい!』ってメールをもらうのは、正直、心中穏やかではなかったけれど、すみれが回復していくのと裏腹にわたし自身の気持ちがダウンしてしまって、手術を終えて退院しても、いろいろなことが元には戻らなかった。わたしと同居していた部屋を出たすみれは、たまに出席する授業がある時だけ、秩父の大介の実家から京都で大介が下宿していた親戚の家に戻ってたみたい。どの時点から大介とすみれの恋愛関係が始まったのかは定かでないけれど、結局、わたしの恋は『ジ・エンド』よ。そんなこんなで、とても関東に戻る気にはなれなくて、結局、東京の会社からもらっていた内定は辞退して京都に残ったの」
あまりの衝撃に言葉もなかった。記憶の中ではまだ生き生きと生きているすみれとパパ、心さんの笑顔が走馬灯のようにわたしの脳裏を駆けめぐり、一瞬の間、めまいがするような感覚を覚えた。誰かに誇りたくなるほど楚々として美しい自慢の叔母が秘密にしてきた過去を突然聞かされ、平然としていられるほどの強さが当時のわたしにある訳もない。悪意はないにせよ、さくちゃんの人生をあらぬ方向にねじ曲げたのがパパとすみれだったなんて。

思えば小学3年の頃から、春休み、夏休み、冬休みの期間、京都のさくちゃん宅に預けられ、そこで過ごした思い出がうっすらと浮かび上がり、時に実の母のすみれよりもわたしを大切に慈しんでくれたさくちゃんの優しい眼差しや仕草のあれこれがフラッシュバックした。「秩父育ち」という表現に偽りはないけれど、小学3年の頃から年に2ヶ月、つまりは人生の1/6を京都のさくちゃん宅で過ごしてきたのだ。さくちゃんとの間には母のすみれとよりも頻繁にスキンシップがあった気もするし、幼い頃、いや中学生になってもなお、手を繋いで出歩くのは普通のことだった。春休みにはあちこちの桜の名所へ、夏にはお揃いの浴衣姿でお出かけし、初詣は北野天満宮に、折に触れてさくちゃんお気に入りのあちこちのカフェを訪ね、四季折々に鴨川デルタのベンチで語り合った思い出は数知れない。1/6というのは物理的な時間であって、実際のところ、わたしの人生の半分は間違いなく京都にあって、さくちゃんは、紛れもなく、わたしの「京都の母」だったし、今でもそうだ。そしてきっと、これからも。

どこかのパーキング・エリアでさくちゃんがクルマを停めると、わたしはさくちゃんを制して車外に出て自販機でペットボトルのホット・ミルクティーを2つ買い、エンジンをかけたまま運転席で待つさくちゃんに1本を渡した。わたしは助手席に戻って、ミルクティーを少しづつ口に入れていく。期待していた甘ったるい味がしないのはなぜだろう?気がつくと、ある仮説がわたしの心の奥でぐるぐると渦巻き、やがてひとつの形になった。
「さくちゃんがわたしを大切にしてくれたのは、『わたしが本来であれば自分が産むはずだったパパの娘だから』なのでは?経緯はどうあれ、パパの彼女だったさくちゃんからパパを奪ってしまった贖罪の気持ちから、すみれは私を学校が休みの間だけ、さくちゃんに預けて『叶わなかった母娘水入らずの時間』をプレゼントしたのではないのか?」と思い至った時、真偽はどうあれ、長年の疑問が少しだけ晴れたような、そんな気持ちが胸の奥に湧き上がった。どれほどの時間、自分が黙っていたのか、わからない。わたしは車内に静かに流れる坂本龍一のピアノの音色に心を委ねていたが、思いついた仮説を幾度か反芻するうち、こんな思いも脳裏をよぎった。「こんなに綺麗なさくちゃんがずっと独身でい続けていることには、少なからず、かつて恋人だったパパがすみれを選んだことが関わっているのでは?」と。
あれこれ考えるうちに、さくちゃんへの申し訳なさから頬を伝う涙は止まらなくなり、わたしは嗚咽し始める。出棺する前、驚くほど綺麗だったすみれの顔を見てもなお、涙は出なかったのに。「さくちゃん、ご、ごめんなさい。パパとすみれがさくちゃんにひどいことして……。今ごろ、私が謝っても意味ないと思うけど、本当、に、ごめん・・・な、さい」と、きっと見るも無惨なほど泣き崩れた顔をフロントガラスに向けたまま、私は告げた。
「ごめん、ごめん。言いたいことは、そうじゃないのよ。大介に振られたくらいで、わたしの人生、ダメになってないから安心して。あれから幾度か恋もしたしね、ひと通り。ここから先が大切だから、よく聞いてね。すみれと大介が籍を入れてからしばらくは、わたしとすみれは音信不通だった。けれど、あなたが生まれてしばらくした頃、赤ちゃんだったあなたを連れて大介とすみれが京都まで会いに来たの。何の前触れもなく、突然にね。『さくら、この子を抱いてあげて』とすみれに言われてあなたを抱いた時、すべてのわだかまりは一瞬で氷解した。はらはらと、こぼれる涙が止まらなかったわ。『あぁ、この子はお腹を痛めていないわたしにとっても、かけがえのない掌中の珠なんだ』だと思えた。一周回って、わたしはすみれに感謝したもの。もしも大介が選んだ人がすみれじゃなければ、わたしと同じ小比木のDNAを宿すあなたに会えなかった訳だから。言いたいこと、わかるでしょ?わたしとすみれは瓜二つなんだから・・・」とそこまで話して、さくちゃんの口元が少しだけ緩んだ。
「話してくれて、ありがとう。わたし、ほんとにすみれの子なんだね。自分の性格、どちらかと言うとさくちゃんに似てるから、『わたしの実の母親はさくちゃんかも?』って心のどこかで疑ってたの」と、正直にわたしは打ち明けた。
「あなたの母親は、紛れもなく柊すみれ、ただ一人よ。わたしがあなたを産めなかった訳は話した通りだから、もしもわたしがあなたの実母だと疑うなら、『何をか言わんや、噴飯物』と言うしかないわ。あなたがそんなことを言うと天国のすみれが泣いちゃうから、二度と言わないこと。独身のわたしが言っても説得力がないかもしれないけれど、子育てほど尊い大事業はこの世にないと思うし、すみれはすみれなりのやり方でやり遂げたと思う」とさくちゃんはそう告げると、わたしをそっと抱きしめる。すみれの抱擁と同じように、背中の上の方、肩甲骨のあたりを幾度も優しくさすった。思えば、ショートカットでいつもご機嫌、片田舎の小さな喫茶店の店主なのに「わたしの本業は歌手だから。この人生、ハッピーエンドで終わらせるわよ」とウィンクする姿が愛らしかった母のすみれと、態度は控えめでも楚々として美しい叔母のさくちゃんは見事に好対照。例えば、愛車の車種は2人ともローバー・ミニだけれど、すみれのミニは赤で、さくちゃんのはモスグリーン。そして、愛情表現の仕方こそ違えど、この2人から絶え間なく、わたしは愛情を注がれてきたことを今さらながら痛感する。
さくちゃん得意の決めゼリフ、「ナニヲカイワンヤ、フンパンモノ」が聞けたということは、さくちゃんの心は平常運転に戻りつつあると認識して、思い切って提案してみた。
「ねぇ、さくちゃん。さくちゃんが知ってるすみれのこと、ぜんぶ聞かせて。幼い頃のこととか、学生時代のことととか。覚えている範囲でいいから、心さんとパパのことも」とわたしが懇願すると、「いいわよ。あなたが望む最適解が見つかるかはわからないけれど、お望みならばいくらでも。その代わり、あなたが知ってるすみれと大介のこともわたしに話して。毎週金曜日の夜は映画館で映画を観るから、これからは一緒に観ましょう。映画の後でカフェで女子会すると楽しいかもね」と快諾してくれた。
実のところ、大学で何かを学ぶことではなく、心さんと一緒に音楽活動をすることが京都移住の最大のモチベーションだったので、わたしの音楽上の師匠で思い人だった心さんが不在の今、さくちゃんの申し出はありがたかった。思い出話をいくら積み上げたところで、すみれも心さんも帰ってくる訳はないけれど、すみれとさくちゃん、パパと心さんが出会って過ごした京都でのあれこれやら、誰かの記憶にあることはできるだけ知りたい。そこからしか、自分の人生はリスタートできないような気がしたから。
「あなたは断じて独りじゃなくてよ。鴨川と高野川は毎日渡ってもいいけれど、天国のすみれと天地神明に誓って、わたしよりも先に三途の川は絶対に渡らせないから」と告げると、さくちゃんはCDデッキのボタンを押して、すみれのお気に入りのリンダ・ロンシュタットの子守歌アルバム『Dedicated To The One I Love』を流し始める。
「わたし、このアルバム、これまでに3,000回は聴いてる気がする。パパがいなくなってから、毎晩11時過ぎになると、リビングですみれがかけるから。これ聴くと、自然に眠くなるようにカスタマイズされてるもん。歌詞はうろ覚えだけど、全曲歌えるよ」と打ち明けると、「すみれが『眠れぬ夜の必聴盤だから』とか言って布教したから、わたしも持ってるのよ。京都までこのまま走るから、眠くなったら眠りなさい」と告げると、さくちゃんはゆっくりアクセルを踏み、クルマはパーキングエリアの出口に向かって動き出した。いつも通り、安全運転のさくちゃんが100キロちょうどくらいのスピードで走行車線を走り始めてしばらくの間、わたしはカーステレオから流れるリンダの歌声に合わせてハミングしていたが、さっき聞いた「わたしより先に三途の川は絶対に渡らせない」というさくちゃんの誓いの言葉に安堵したように眠気に襲われ、静かに瞼を閉じた。
To be continued.
登場人物
▼柊波音(ひいらぎ・なみね)
京都市左京区在住。幼い頃から慣れ親しんだ叔母の家から、某私大に通う女子。大学入学直後の春、母のすみれと思いを寄せていたギタリストの風間心を交通事故で同時に失う。進学後の京都で心とユニットを組んで音楽活動をする夢は実現せず、途方に暮れる。人混みが苦手で、言葉に敏感。カフェめぐりと甘味好き。
▼柊すみれ(ひいらぎ・すみれ)
波音の母。京都での学生時代に柊大介と知り合い、結婚。東北の震災後、夫の大介が不在になってからは、秩父の喫茶店の店主と姉のさくらからもらう編集の仕事をこなしながら、女手一つで波音を育てる。音楽と歌を愛し、松田聖子、リンダ・ロンシュタット、ホリー・コールがフェイバリット・シンガー。すみれの大学進学後に渡米して、ジャズ・シンガーになるという夢があった。
▼小此木さくら(おこのぎ・さくら)
すみれの双子の姉で、京都市左京区在住。独身。小さな編集プロダクションを営む。東北の震災後、波音の小学3年の春休みから、夏休み、冬休みの期間は波音を預かり、実の娘のように慈しんできた。ショートカットで快活なすみれとは対照的に、たゆたうような長い黒髪が美しく、物腰優しくエレガント。波音の中学時代から、編集の仕事を教える。趣味は筋トレと映画鑑賞。
▼風間心(かざま・しん)
ギタリスト。生前は神戸在住。時には、カメラマンとして、さくらの会社の仕事を請け負うことも。流行には無頓着で、大好きなブラック・ミュージックを追求するあまり、メジャーシーンで売れたことはなかった。学生時代からすみれに片思いをし、数回振られた後に別の女性と結婚。息子の丈二を儲けた後、バツイチに。すみれの夫の大介が不在になってからは、すみれのライヴ活動をサポートしてきた。
▼柊大介(ひいらぎ・だいすけ)
波音の父。フリーランスとして医療機器などのセールスに従事していたが、2011年3月11日、出張先の東北地方で消息不明に。京都の某私大で小此木さくらと知り合い、3年ほど交際するも、ドラマーとしてバンド活動を共にしていたすみれと結ばれる。
▼風間丈二(かざま・じょうじ)
心の一人息子で、年齢は波音の1つ下。幼い頃から京都滞在中の波音と会うことが多く、いわば幼なじみ。さまざまな楽器をこなすマルチプレイヤーで、波音と心が組む予定だったユニットではプロデューサー役を依頼されていた。
Notes
・ここから始まるストーリーにまつわる楽曲を「Seeds Of Wish (シーズ・オブ・ウィッシュ)の名義で発信していきます。楽曲のサウンドプロデュースは、田村信二さん。
・楽曲の公開、配信に伴い、各ストーリーを朗読した音源も配信予定です。
